堀井 英男 「赤の追憶」 Hideo Horii
- 管理No.※Sold※
- 技 法エッチング,アクアチント,ソフトグランド,ステンシル (Etching,Aquatint)
- サイズ18.3×21cm(I)
堀井 英男 「Magic Room 84-4」 Hideo Horii
- 管理No.※Sold※
- 技 法エッチング,アクアチント (Etching,Aquatint)
- サイズ37.5×57.5cm(I)
社会と人間とのかかわりをテーマに描き続けた堀井英男氏。
時や場、状況によって絵は幻想風であり、象徴性を強め、抽象的傾向にもなる。
そのような絵画の傾向は色彩と形体とのあり方に無縁でなく、常に絵画的意識が反映されている。
生涯、試行錯誤の中から生まれる「人間の問い」を追い求めた。
1991年に創形美術学校の校長に就任し、多くの版画家に影響を与える。
幻想的な人間像を描き、今なお高く評価されている。1994年、逝去
- プロフィール1934年 - 茨城県行方郡潮来町に生まれる
1950年 - 潮来高等学校で、教諭、後藤市三に油彩画の手ほどきを受ける
1954年 - 文化財保護委員会(現文化庁)庶務課に勤務、この年萩原英雄に師事
1956年 - 東京芸術大学美術学部油画科入学
1960年 - 東京芸術大学美術学部油画科卒業、卒業制作は「2つの像」
東京芸術大学美術学部油画専攻科に進級
東京都足立区立第八中学校図工科講師となる
1961年 - 東京芸術大学美術学部油画専攻科中退
東京都中央区立月島第三中学校図工科の講師となる
1962年 - 私立立正高等学校(美術科)の教諭となる
1963年 - 桜井京子と結婚
1964年 - 第3回油絵3人展を銀座・村松画廊で開催
1965年 - 私立立正高等学校を退職し、画業に専念する
1966年 - 油絵の傍ら銅版画(独学)をはじめる
1967年 - 日本版画協会第35回展に初出品、初入選で日本版画協会賞を受賞
1968年 - 日本版画協会会員に推挙される
1969年 - 第8回ユーゴスラヴィア国際グラフィックアート・ビエンナーレに出品
1970年 - 第3回国際版画ビエンナーレに連作を出品
1971年 - 日本版画協会第39回展に出品
1972年 - 詩画集「夢のそとで」がプリント・コレクターズ・サロンから刊行
1973年 - 東京八王子にアトリエを建てる、版画集「水のさと」が刊行
1974年 - 第1回国際ビエンナーレ展(スペイン)に出品
1975年 - 堀井英男銅版画展が京橋ギャラリープリントアートで開催
1976年 - 高沢学園・創形美術学校版画主任となる
1977年 - 日本版画協会第45回展に出品
1978年 - 詩画集「詩の淵より」が福井県三国郷土資料館に収蔵
1979年 - 日本版画協会第47回展に出品
1980年 - 「ポーズする人」「二つの間にNo.3」が栃木県立美術館に収蔵
1981年 - 「虚構の部屋No.9」「二つの間にNo.3」が宮城県立美術館に収蔵
1982年 - 金沢美術工芸大学の非常勤講師となる
1983年 - 詩画集「幻花」が刊行
1984年 - 「magic room 84-2・83-1・83-2」が新潟市立美術館に収蔵
1985年 - 私学共済海外派遣研修旅行でパリ、ミュンヘンなどに1ヶ月滞在
1986年 - 白興本社ビル外壁にモザイク壁画を制作
1987年 - 日本版画協会第55回展に出品
1988年 - 第9回スウェーデン版画トリエンナーレ展に出品
1989年 - 『堀井英男全版画作品集』が刊行
1990年 - 中国・イタリア視察旅行
1991年 - 創形美術学校校長に就任
1992年 - ブレラ美術学校、創形美術学校の国際交流展開催の為、ミラノに赴く
1994年 - 10月20日、逝去