● 小野 忠重 TADASHIGE ONO
1909年に生まれた小野忠重は本郷絵画研究所に学び、昭和4年プロレタリア美術展に出品して以後
版画に専念し、7年第2回日本版画協会展に初入選する。同年、新版画集団を創立し12年にはこれを
改組して造型版画協会を創立、主宰した。戦後は、東京国際版画ビエンナーレ展に32年の第1回展から
第4回展まで連続出品し、36年にはソ連の現代版画展に際しソ連を経て渡欧する。
民衆の生活に密着した版画制作に努め、街、工場などの風景を多く主題とする。版画史の研究でも知られ、
著書に「日本の銅版画と石版画」「版画技法ハンドブック」「近代日本の版画」などがある。
- プロフィール
1909年 1月19日、東京市本所区小梅瓦町(現在の墨田区向島)酒類食料品販売商、小野忠平の長男として生まれる 1915年 牛島尋常小学校へ入学、牛島尋常小学校の出身者には、洋画家 硲伊之助、小説家 堀辰雄がいる 1920年 牛島尋常小学校より新設の小梅尋常小学校に移る 1921年 小梅尋常小学校を卒業し、早稲田実業学校へ入学 1923年 関東大震災のため生家が焼失する 1924年 美術雑誌「みずゑ」誌上で、中西利雄、新道繁らの主宰する蒼原会がメンバー募集をしているのを見て、最年少のメンバーとなる。 この蒼原会会員に、後年日本創作版画協会会員となった山口進がいた 1925年 白日会第2回美術展覧会に、水彩画「河岸」が入選する この頃、蒼原会に所属しながら、東京・本郷にあった岡田三郎助の本郷絵画研究所にも通い、絵を学ぶ 1926年 父の郷里で開催された、郷愁社展に出品 ※版画作品はない 1927年 早稲田実業学校を卒業。商業美術の講師は、小野に東京美術学校の受験を勧めるが、心臓に病をもつ母・せいのこともあり、家業につく 1929年 第2回プロレタリア美術大展覧会に「デモになる風景」「犠牲者に誓う」、油彩画「ビラを見る労働者」を出品 この年、母・せい死去 1930年 第3回プロレタリア美術大展覧会に「閉鎖工業と失業者」「工業へ進む赤旗」「無産者病院のために」「プロレタリアの生活から」を出品 この年、橋本はつゑと結婚 1931年 東京美術学校・日本画学生で、版画も制作していた武藤六郎と知り合い、版画の研究会をつくる 1932年 日本版画協会第2回展に「患者控室」などを出品 版画の大衆化を目的に新版画集団を結成する 機関紙「新版画」を創刊 「工場」を掲載 「新版画」第2号発行 -所謂「天国に結ばれる恋」事件-を掲載 「新版画」第3号発行 –ゴルキイ「夜の宿」の舞台デザイン-を掲載 「新版画」第4号 都市田園診断特集発行 「1923年 9月1日」を掲載 銀座・川島商店楼上 新版画集団第1回展 第5回プレタリア美術大展覧会に連作「三代の死」を出品するも当局に撤回される 「新版画」第6号発行 「自白する殺人者」を掲載 1933年 「新版画」第7号発行 「観念的な舞台」を掲載 「新版画」第8号発行 -「餓鬼」と呼ばれる子供-を掲載 「新版画リーフレット」第1号を発行 神田・三省堂2階 新版画集団第2回展覧会 「新版画リーフレット」第2号を発行 新版画集団展 「新版画」第9号発行 版画編集試作 岐阜・丸物百貨店 新版画集団展 日本版画協会第3回展に「工場区の人々」「入口」「公園の人々」を出品 「新版画」第10号発行 「川に沿ふて」を掲載 神田・東京堂画廊 新版画集団第3回展覧会 「新版画リーフレット」第3号(掲載文 最近の版画界)を発行 「新版画」第11号発行 「露地」「暴力稼業」を掲載 1934年 光風会第21回展に「瓦斯」を出品 「新版画」第12号発行 「裸婦」を掲載 銀座・版画荘 新版画集団小品展覧会 「市街」「瓦斯工場」「橋」を出品 上野・松坂屋 第4回新版画展 「新版画」第13号発行 「ガス工場」を掲載 浅草・松竹座 新版画集団-エノケン一座を廻る版画展開催 「新版画」第14号発行 「夜番とその子」を掲載 1935年 「新版画」第15号発行 表紙絵、及び賀状図案2点を掲載 第22回光風会展に「工場区」を出品 「新版画」第16号発行 「清洲橋附近」「隅田公園」を掲載 神田・東京堂 新版画集団小品展 「新版画」第17号発行 「二裸婦」を掲載 浅草・松屋 現代版画展 日本版画協会第4回展兼日本現代版画米国展準備展観に「労働区の酒場」「皮膚」を出品 「新版画」第18号発行 「横浜風景」を掲載 銀座・伊東屋 第5回新版画展 1936年 東京府美術館 第5回日本版画協会展で「妄想」-後「将軍」と改題-「犠牲」「休日」「恢復期」により第1回版画協会賞を受賞 日本現代版画展が欧米にて開催され、「皮膚」を出品 「新版画リーフレット」第4号「掲載文 版画大衆化の課題」を発行 銀座・伊東屋 第6回新版画展 新制作派協会第1回展に「衣装」を出品 新版画集団の活動・運営の沈滞化が著しく、集会をもつ 新版画集団を解散 1937年 新版画集団にかわって、造型版画協会を設立 銀座・伊東屋ギャラリー 第1回日本挿画美術展覧会に「馬車」「水族館」「瀬」「葉山嘉樹作より」を出品 銀座・伊東屋ギャラリー NAS「新協」春季展に「屠殺夫」「暗き海景」を出品 銀座・紀伊国屋画廊 造型版画協会第1回展に「海辺家族」「夜学教師」「工場街」を出品 東京府美術館 新制作派協会社第2回展に「集金人」「蘇苔」「街の子」を出品 1938年 東京府美術館 造型版画協会第2回展に「狐市街」「休日」「葬具」「少年」を出品 福岡日々新聞社講堂 新興美術家協会福岡第1回展に「赤衣の男」「市街」「工業街」「初冬」「暁靄(木曽)」「山道」「富士川風景」を出品 東京府美術館 新制作会第3回展に「河童」を出品 1939年 法政大学高等師範部 国語漢文科に入学 東京府美術館 造型版画協会第3回展 1940年 東京府美術館 造型版画協会第4回展 新制作派協会の推薦を受け「紀元二千六百年奉祝美術展」に「民俗誌」-後「葬礼」と改題-を出品 1941年 父・忠平、死去 造型版画協会第5回展-特別陳列「日本の銅版画と石版画」 日本橋・三越 佛印巡回日本絵画展覧会内示会に「市街」を出品 太平洋戦争のため、法政大学を繰り上げ卒業。この年、幸地貞子と出版社「双林社」を設立 1942年 造型版画協会第6回展-特陳「近世洋風版画から創作版画へ」 版画奉公会が結成される、理事長は恩地孝四郎、常務 西田武雄、小野は理事となる 造型版画協会浜松展、-近世風風景画の発達-に「市街」「工場」「川」「農園」「湖畔(支笏湖)」「鵜の町(名寄)」「山道(鳳来寺)」「男」を出品 1943年 造型版画協会第7回展 同時展示「世界風景画の発達」 版画奉公会を退会 浜松市・松菱百貨店 造型版画協会浜松展 1945年 企業統制で父の業を他に譲り、南洋団体連合会に勤務。召集令を受け2週間兵役につく 妻・はつゑが結核で死去。小梅の家も空襲のため焼失する 小野は知り合いをたより岡山県津山へと疎開し、疎開地の高等女子校等で国語、図面の教職を得る。この年、幸地貞子と結婚する 1946年 単身上京、美術出版社に勤務。 「西洋の影響をうけたる日本画」の著者・黒田源次が、中国より引き揚げ東京にいることを知り、はじめて対面する 1948年 日本橋・高島屋 現代中日版画展「ガス工場」を出品 東京都美術館 日本アンデパンダン第2回展「工場裏」「工場」を出品 この年、現在の阿佐谷北へ転居し、疎開で離れていた家族を順次呼び寄せる 1949年 東京都美術館 第13回新制作派協会展「北方の家」を出品 銀座・北荘画廊 造型版画協会第8回展「工場」「民家」「少年」「道」を出品 1950年 東京都美術館 日本アンデパンダン第3回展「窓について」「橋について」を出品 銀座・北荘画廊 造型版画協会第9回展「橋」「窓」「道」を出品 東京都美術館 第14回新制作派協会展「けむり」を出品 1951年 東京都美術館 日本アンデパンダン第4回展 特別陳列-近代美術家滞欧作に「民家A」「民家B」を出品 日本橋・三越 造型版画協会第10回展「港」「道」「街」「陸橋」「水辺」「出発」「少年」「街景」を出品 現代版画総合展に「橋」「窓」を出品 東京都美術館 第15回新制作協会展「湿地区」「街」「道」を出品 造型版画展 特別陳列-近代の銅版画と石版画-に「少年」「道」「陸橋」「水辺」「港」「民家」「工場」を出品 1952年 東京都美術館 日本アンデパンダン第5回展「夜明け前」「平和な日」「河岸」を出品 造型版画協会展-藤牧義夫の遺作に寄せて-「橋」「川岸」「路面」「街裏」「工場」「斜陽」「早春」を出品 1953年 東京都美術館 第17回新制作協会展「港」「訪れた子」を出品 造型版画協会第11回展 1954年 東京都美術館 日本アンデパンダン第7回展「ひとびと」「訪れる人」を出品 銀座・松屋 造型版画協会第12回展 同時展示-「西洋版画の歩み」に「工場」「家並」「陸橋」「河岸」「海辺」「漁港」「湖畔」「山やま」を出品 東京都美術館 新制作協会展「低地A」「低地B」を出品 この年、美術出版社を退社し、再び画家・版画史研究家として活動を開始 1955年 東京都美術館 日本アンデパンダン第8回展に東京低地連作「みず」「とぶ」「ごみ」「はる」を出品 神田・三省堂 造型版画協会小品展 造型版画協会は小野忠重のメモによると、以降正式に解散することもなく、活動を終えたことになっている 現代版画 津山展 東京低地連作「かわ」「ぬま」「あき」「ごみ」「かわ」「どぶ」「みず」「みち」を出品 本間美術館 現代版画 東京低地連作「かわ」「どぶ」「海辺」「山湖」を出品 東京都美術館 新制作協会展「刷版A」「刷版B」を出品 1956年 東京都美術館 日本アンデパンダン第9回展 特陳-資料日本近代漫画史に「陸橋」「砂川にて」を出品 銀座・養清堂画廊 最初の個展を開催、「道」「橋」「どぶ」「ひろば」「緑地」「こどもたち」「始発点」「車内」「川岸」「道」「少年」を出品 1957年 東京都美術館 日本アンデパンダン第10回展に「野」「陸橋」「浜」「道」を出品 日本橋・三越 現代版画秀作展に「海辺家族」「川岸」「工場」を出品 東京読売会館 東京国際版画ビエンナーレ第1回展に「雨」(招待出品)を出品 第3回選抜秀作美術展覧会に「湿地区」を出品 日本橋・三越 小野忠重版画展に25点を出品 東京法政大学 第7回全法政美術展に「雨」を出品 銀座・養清堂画廊 三人展/小野忠重、中山正、森村惟一 紙の博物館にて、木版画(年賀状)講習会を87年まで毎年うけもつ 1958年 東京医大付属病院にて、胃潰瘍のため切開手術をうける 日本橋三越 現代版画秀作展に「道」「市場裏」「川(広島)」を出品 日本アンデパンダン第11回展 特陳-ドオミエ生誕150年祭記念室、メキシコ版画室-東京都美術館-に「川(Ⅰ)」「川(Ⅱ)」「川(Ⅲ)」を出品 1959年 東京都美術館 日本アンデパンダン第12回展に「道」「川」を出品 銀座・養清堂画廊 木版・銅版・石版・版画6人展 日本橋・三越 小野忠重版画展に25点を出品 国際グラフィック・コンテストに「田」「二人」「川」他を出品。作品はその後、国立ドレスデン美術館版画室が収蔵 日本橋・三越6階工芸サロン 小野忠重版画展に25点を出品 銀座・村松画廊 集団「版」第1回展に「にわ・ひる」「にわ・夕」「海」を出品 京橋・いづみぎゃらりい 小野忠重ミニチュア版画展に小品20点を出品 1960年 JAPANS MODERN PRINTS-SOUSAKUHANGA展 東京都美術館 日本アンデパンダン第13回展 特陳-ケーテ・コルビッツ版画に「やね」他1点を出品 渋谷・東急東横旧館 集団「版」第3回展に「人びと」「波」を出品 新宿・第1画廊 小野忠重版画展に16点を出品 日本橋・高島屋 第3回美術家会館建設展に「とり」を出品 東京国立近代美術館・大阪市立美術館 東京国際版画ビエンナーレ第2回展に「とりの町」「とりの庭」「とりの道」を出品 版画制作研究のグループ「版の会」を結成 新宿・第1画廊 集団「版」小品展60 1961年 東京都美術館 日本アンデパンダン第14回展に「海」「街」を出品 岐阜・丸物百貨店5階 岐阜版画協会展 特別陳列-小野忠重作品集 モスクワ・全ソ連画家同盟会館で開催された、第1回日本現代版画展に招かれ、版画家の鈴木賢二氏とともに夫妻で訪ソ。 その後、渡欧しパリでは長谷川潔、ヘイターらの版画家、ムルロー工房を訪問。 1962年 銀座・松坂屋 現代日本の版画展に「工場街」「鳥」を出品 東京都美術館 日本アンデパンダン第15回展に「レニングラード」「黒海の船着場」を出品 日本橋・三越 美術家会館完成記念 現代美術新作展 銀座・松屋 小野忠重版画展にヨーロッパの風景など71点を出品 東京国立近代美術館・大阪市立美術館 東京国際版画ビエンナーレ第3回展に「駅の家族」「塔」「広場の子」を出品 この年、60年に設立した「版の会」第1回展を開催。以降、ほぼ毎年展覧会を開催 1963年 東京都美術館 日本アンデパンダン第16回展に「ナオトカ」「橋」「川」を出品 東京国立近代美術館 現代の油絵と版画展に「工場街」「とりの町」「鳥」を出品 富山県芸術祭参加 小野忠重個展に83点及び素描を出品 東京芸術大学美術学部 絵画科(版画専攻)非常勤講師となる 1964年 下館市・吉見屋3階ホール 小野忠重版画展に66点を出品 東京国立近代美術館他 東京国際版画ビエンナーレ第4回展 三重県立博物館にて現代版画展と題し、作品展を開催、226点を出品 岡山市・ギャラリィーオグラ 小野忠重版画展に「とりの庭」「塔」などを出品 東京都美術館 日本アンデパンダン第17回展に「モスクワ河」「ミュンヘンの休日」「ヴェネチアの店」を出品 岐阜市・中島祥雲堂画廊 小野忠重版画展 新宿・小田急百貨店 日本中国版画交流展に「村のおわり」を出品 姫路市・三成堂画廊 小野忠重版画展に「広島の水」「とりの道」「駅の客 ナポリ」他を出品 富山市郷土博物館 小野忠重版画展に50点を出品 東京国立近代美術館・大阪市立美術館 東京国際ビエンナーレ第4回展に「ヴェネチアの空」「ナポリの風琴」「長崎の丘」を出品 1965年 EXHIBITION OF CONTEMPORARY JAPANESE PRINTS イスラエルに「Birds」を出品 東京都美術館 日本アンデパンダン第18回展に「船つくり」「町むすめ」を出品 岡山市・上之町画廊 小野忠重版画・スケッチ展 広島市・天満屋4階画廊 日本美術会会員 小野忠重版画展 銀座・松屋美術サロン 小野忠重版画展-版画近作・素描- 白河市・常陽銀行白河支店 小野忠重版画展に「ミュンヘン休日」「モスクワの時計台」「黒海の農園」等49点を出品 新宿・プチモンドサロン 小野忠重デッサン展-フランス- 1966年 新宿・京王百貨店 みずゑ創刊60周年記念 戦後20年現代日本版画展に「とりの道」「ヴェネチアの空」「町むすめ」を出品 銀座・わたなべアートサロン 小野忠重版画展 新宿・美術出版社ビル美術出版社ロビー展示会 本間美術館 小野忠重木版画展に1957年~66年の作品97点とスケッチ7点を出品 上野・東京芸術大学付属芸術資料館 東西版画作品展 収蔵品より 下館・吉見屋ギャラリー 小野忠重第3回下館近郊スケッチ展、近作版画展 1967年 東京都美術館 日本アンデパンダン第20回展に「広島の川」「倉庫」を出品 熊本市・熊日画廊 小野忠重木版画展に約40点を出品 東京国立近代美術館 近代日本の版画展に「工場街」「街」「とりの庭」を出品 東独・ベルリン ALTES MUSEUM INTER GRAFIK67「船つくり」他を出品 メキシコオリンピックに合わせて、Mexico Instituto Nacional de Bellas Artesが開催「かける」「陽ざかり」「広島の川」を出品 1968年 東京国立近代美術館 前年のEI 3er Festival de Arte del Japon展国内展示が開催される 愛知県立芸術大学非常勤講師になる 東京国立近代美術館・京都国立近代美術館 東京国際ビエンナーレ第6回展の諮問委員。同時に「ふえなり」「うみとり」「とぶ」を出品 1969年 東京都美術館 日本アンデパンダン第22回展に「はこぶ」「あさあめ」「かわ」を出品 1970年 東京都美術館 日本アンデパンダン第23回展に「イタリアの空」「てがみ」「みず二題」を出品 この年、脳血栓にてたおれるが症状が軽く、自宅にて療養 2度目の東京国際版画ビエンナーレ展諮問委員となる 1971年 東京国立近代美術館 近代日本美術における1930年展に「かたち(鉄)」連作「3代の死」より4点を出品 富山市立郷土博物館 小野忠重近作展に木版画64点、スケッチ40点を出品 貞子夫人が死去 1972年 東京都美術館 日本アンデパンダン第25回展に「駅の客」「狐影」「港へ」を出品 TADASIGE ONO EXHINIT 約30点が展示される 銀座・松坂屋 小野忠重版画近作展 東京国立近代美術館 昭和46年度新収蔵作品展 上田市・栄屋工芸店 小野忠重版画近作展 銀座・養清堂画廊 第2回現代版画絶版秀作展 1973年 東京都美術館 日本アンデパンダン第26回展に「基地の港」「けむり」「ベトナム讃歌」を出品 小野忠重展を各地方で開催「広島の川」「回想」「ポンペイの午后」「海草とり」等、1957~72年の作品30点と小品24点を出品 銀座・松坂屋新館 小野忠重版画近作展に50点余を出品 JAPANESE PRINTS OF TODAY –ボストン・ニューヨーク– 「北の港」「にわとり」「フィレンツェの庭」を出品 魚津市・中村画廊 小野忠重版画展 近代日本の版画展–巡回美術展で、東京近代美術館・京都国立近代美術館・東京芸術大学所蔵品から明治~昭和まで117点が展示 熊本市・泉画廊 小野忠重木版画展 1974年 東京都美術館 日本アンデパンダン第27回展に「海病む」「旗とみさき」を出品 福島県文化センター 現代版画展に版画74点、デッサン25点を出品 白河市・市立図書館・郡山デパート棚倉町中央公民館 小野忠重・福田利秋版画展 銀座・四方宜画廊 日本創作版画の歩み展 銀座・松屋 小野忠重版画展に「川」「古い町」「落陽」「火口」「朝」「航跡の鳥」等41点出品 静岡市・画廊生土 小野忠重版画展 福島市・いわせギャラリー 小野忠重版画展 長崎市・現代画廊 小野忠重版画展-長崎風景と代表作-名古屋・ギャルリーユマニテ 小野忠重木版個展に34点出品 中津川市・ヒガシ画廊 小野忠重版画展 1975年 東京都美術館 日本アンデパンダン第28回展に「旗」「海死す」を出品 養清堂画廊 現代木版画代表作家個展シリーズ 小野忠重個展-水の変態-に「あれる」「風」「凍魚」「海女と子」「かける」等28点を出品 栃木県立美術館他 1975日本の版画展 ソビエト再訪・モスクワ・レニングラード・サマルカンドを訪問 神田・あかつき画廊 小野忠重版画展 1976年 東京都美術館 日本アンデパンダン第29回展に「サマルカンドの市場にて」水彩「ソ連其地其俗帖」を出品 新潟市・イチムラデパート 小野忠重版画展に「とりの道」「とり」「朝」等版画32点、素描10点を出品 盛岡市・自治会館画廊 小野忠重版画・素描展-ソ連・ヨーロッパ・岩手の旅- 岡山市・ヨシダ画廊 小野忠重滞欧スケッチ展に素描約30点を出品 札幌市・大同ギャラリー 小野忠重版画展に「とりの街」「とり」「塔」「ヴェネチアの空」「長崎の丘」等56点を出品 1977年 東京都美術館 日本アンデパンダン第30回展に「なみ」「朝市かえり(秋田)」を出品 東京芸術大学非常勤講師を定年で退官する 広島市・福屋7階画廊 小野忠重版画展に木版画50余点と広島近郊素描を出品 銀座・養清堂画廊 小野忠重版画展 「小野忠重版画集」(形象社)が出版される 1978年 東京都美術館 日本アンデパンダン第31回展に「サマルカンドの親子」を出品 1979年 東京都美術館 日本アンデパンダン第32回展に「とり」を出品 Grabado Japones contemporareno-Obras Figurativa-ペルー、ヴェネズエラ、ブラジルを巡回「セーヌ橋」「広島の川」「かける」を出品 各地を巡回。現代版画センター 戦後版画の創世期1945~1956に「全線」「ほり」「内海の岸」「駅の夜ナポリ」「フィレンツェの庭」を出品 この年、紫綬褒章を受賞 1980年 東京都美術館 日本アンデパンダン第33回展に「とりの港」を出品 秩父市・古都 小野忠重版画展に26点を出品 1981年 東京都美術館 日本アンデパンダン第34回展に「朝」を出品 銀座・養清堂画廊 小野忠重木版画展に「風の港」「島の漁場にて」「けむり」「航跡の鳥」「船着場」等24点出品 1982年 東京都美術館 日本アンデパンダン第35回展に「島の漁場にて-浜口善登の霊にささぐ-」を、特別陳列-50年代の軌跡に「窓」を出品 銀座・美術ジャーナル画廊 小野忠重木版画・素描 紫綬褒章受賞記念展 1983年 東京都美術館 日本アンデパンダン第36回展に「漁港の休日」を出品 広島市・ギャラリートシタ 小野忠重木版・素描展 新宿・伊勢丹新館美術画廊出版-りゅう画廊限定85部において「スペインのガラス絵」「海」「風」「広島のとり」「ウィーンの公園」を出版 1984年 ギャラリーアポロ 小野忠重デッサン・版画展 1985年 海南市・画廊ビュッフェファイヴ 木版画界の重鎮 小野忠重展に木版画38点と素描を出品 この年、胃の切開手術を受ける 1986年 この年、愛知県立芸術大学非常勤講師を辞す 1987年 神奈川県立近代美術館 「1930年代の版画家たち-谷中安規と藤牧義夫を中心として-」展 1988年 鳥取県立博物館 近代版画のあけぼの-日本創作版画協会の仲間たち-に「工場街」を出品 1920年代日本展「工場」版画集「三代の死」より11点出品 東京芸術大学芸術資料館 小野忠重の版画と素描展 版画62点と素描28点を出品 1989年 神奈川県立近代美術館・別館 小野忠重と「新版画」の作家たち展に66点を出品 吉祥寺・近鉄百貨店 現代木版画三人展/小野忠重、畦地梅太郎、井堂雅夫 1990年 神奈川県立近代美術館 近代日本の木版画展-伝統と近代の対話-に「病院待合室」「街角」「灯台の」「とり」を出品 10月17日 脳出血で入院中肺炎を併発し、午後2時3分逝去 1991年 東京都美術館 日本アンデパンダン第44回展にて「たいこ」「ナポリうら街」「島の漁場にて」が遺作展示される 第31回赤旗まつり美術館で「暴力団」「荷揚げ」「空罐(浮浪者たち)」「海死す」「峡流」など30点が展示される 王子・紙の博物館 追悼展「創作版画の巨匠 小野忠重回顧展」で版画25点、素描8点、版木などが展示される 1992年 新宿・栢木画廊 人間愛の木版詩 小野忠重傑作選展で版画80点、素描38点が展示される 渋谷・NHKギャラリー くらしと人を描く木版画展 名古屋・樹樹画廊 開廊記念 小野忠重木版画展 原景への郷愁・時代を超えた人間愛によせるが開催される 木版画-明治末から 東京・練馬区立美術館で「市街戦」「空罐(浮浪者たち)」「荷揚げ」「工場(民家A)」「広島の川」が展示される 茨城県近代美術館 都市の風景の発見-近代の一視点・描かれた都市-で「街A」「工場街」が展示される