小杉 放庵 「先一杯」 Hoan Kosugi
- 管理No.16-10002
- 作家名小杉 放庵 (Hoan Kosugi)
- 作品名先一杯
- 年 代
- 技 法書
- サイズ23×80cm
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考サイン/印/「小杉一雄」鑑題シール/コンディション概ね良好(経年相応)/37.5×113cm(F)
小杉 放庵 (こすぎ ほうあん) 1881~1964
1881年 12月30日,栃木県に生まれる / 本名:国太郎 / 別号:未醒,放庵,放菴
1896年 日光在住の洋画家・五百城文哉の内弟子となるが,五百城に無断で出奔。上京し,白馬会洋画研究所に入る
1900年 小山正太郎の不同舎に入門
1902年 太平洋画会に入会
1903年 国木田独歩の主催する近時画報社に籍をおき,挿絵を描く
1904年 未醒の号で出品する
1905年 美術雑誌「平旦」を,石井柏亭・鹿子木孟郎らと創刊
1908年 美術誌「方寸」の同人に加わり,この年から文展に出品 / 第4回展 3等賞
第5回展 「水郷」 2等賞 / 第6回展 「豆の秋」 2等賞
1913年 フランスに留学 / 当地で池大雅の「十便図」を見たことがきっかけで日本画に傾倒
1914年 帰国 / 墨絵も描き始めるようになる / 再興された日本美術院に参加し,同人として洋画部を主宰
又,二科会にも同時に籍を置いた
1917年 二科会脱退
1920年 日本美術院脱退
1922年 森田恒友,山本鼎,倉田白羊,足立源一郎らと共に春陽会を創立
1924年 号を放庵と改める / これは親友である倉田白羊が一時期使っていた「放居」という雅号から
「放」の字を貰って付けたものである
1925年 東京大学安田講堂の壁画を手掛ける
1927年 都市対抗野球大会の優勝旗である「黒獅子旗」のデザインを手掛ける
1929年 中国へ旅行
1935年 帝国美術院会員 / 第二次世界大戦中に疎開のため新潟県赤倉に住居を移す
新文人画とも言うべき独自の水墨画を残した
1958年 日本芸術院会員を辞任
1964年 4月16日,肺炎のため逝去
1997年 10月,出身地の日光市で市立美術館が,小杉放菴記念日光美術館として開館