田崎 広助 「富士山」 Hirosuke Tasaki
- 管理No.※Sold※
- 作家名田崎 広助 (Hirosuke Tasaki)
- 作品名富士山
- 年 代
- 技 法油彩 (oil on canvas)
- サイズ0号 (F0)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考※売約済※ サイン/裏書/「田崎広助鑑定登録会」鑑定登録証
- この作品は売約済みまたは販売済みです。
田崎 広助 (たさき ひろすけ) 1898~1984
幼いころから絵画に関心があり,その道に進みたかったが父の反対で東京美術学校進学を断念。田崎は風景画,特に山岳風景をモチーフとした絵を多く描き,その中でも熊本の阿蘇山を題材にしたものが多く「阿蘇の田崎」と呼ばれた。インパクトのある配色と大胆な構図,豪壮でたくましい山を表現しながらも,田崎の絵は温かみのあるユーモアが感じられる筆致である。東洋的な自然への憧憬とパリ留学で受けた印象派・セザンヌの影響,日本的油絵様式を調和させ,独特の画風に変化させていった。 田崎は,富士山・阿蘇山・浅間山などの作品群で圧倒した存在感を示し「素朴で豪胆」という硬軟同居の味わいを確立した。彼の作品は,既存のどのジャンルにもあてはまることがなかった。晩年は富士山を題材に赤富士の絵を数多く描いた。
1898年 福岡県八女郡北山村(現,八女市立花町)に生まれる。本名は,広次
1917年 福岡県師範学校(現,福岡教育大学)第二部卒業
1920年 22歳で家族の反対を押し切り画家を目指して上京。本郷駒本小学校の図画教師のかたわら,坂本繁二郎に師事
1923年 関東大震災のため京都に移り,錦林小学校に勤めながら関西美術学校に学ぶ
1924年 黒田敏と結婚
1926年 第13回二科展に「森の道」「山百合」「京都吉田山」が初入選
1932年 シベリア鉄道で渡欧
1932年 3年間をパリ・イタリア・スペインなど,周遊しながら絵を描く(~35年)
1933年 サロン ドートンヌに「パリの裏町」ほか2点入選
1939年 一水会の創立に参加
1961年 「初夏の阿蘇山」「朝焼けの大山」等の連作で日本芸術院賞受賞
1967年 日本芸術院会員
1968年 勲三等瑞宝章受章
1974年 ブラジル政府コメンダドール章オフィシエ章受章
1975年 文化勲章受章。文化功労者。代表作の絵画は「初夏の阿蘇山」ほか
1984年 逝去 享年87歳