創業35年 美術品販売 ギャラリー田辺|作品|アンディ・ウォーホル 「Brillo Poster for the Pasadena Art Museum」 Andy Warhol

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アンディ・ウォーホル 「Brillo Poster for the Pasadena Art Museum」 Andy Warhol

  • 管理No.
    16-12636
  • 作家名
    アンディ・ウォーホル (Andy Warhol)
  • 作品名
    Brillo Poster for the Pasadena Art Museum (パサデナ美術館での展覧会ポスター)
  • 年 代
    1970年
  • 技 法
    オリジナルシルクスクリーンポスター (Original Screenprint Poster)
  • サイズ
    76.2×65.4cm(S)
  • レゾネ
  • 体 裁
    額装
  • 備 考
    F.&S.レゾネ不掲載/画面に多少のインクワレ/93×82.5cm(F)
    • アンディ・ウォーホル (Andy Warhol) 1928~1987

      1928年 8月6日 アメリカ合衆国北東部のペンシルヴァニア州ピッツバーグで生まれる (出生日や出生地には諸説あり) 本名:アンドリュー・ウォーホラ

      恐慌の影響で家庭は非常に貧しく,体が虚弱だったウォーホルは,家でラジオを聴いたり本やマンガを読むことが多く
      スーパーマン・ポパイ・バットマンに憧れる絵が得意な少年だった

      1942年 父が死去

      1945年 貧困のため,トラックで八百屋などのアルバイトをしながらピッツバーグのシェンリー高校を卒業,カーネギー工科大学に入学し絵画等を専攻

      1948年 ピッツバーグのジョゼフ・ホーン・ストアで,ウィンド装飾の仕事に携わる

      1949年 カーネギー工科大学(現在:カーネギーメロン大学)卒業。美術学士号を取得
      21歳でニューヨークに引っ越し,22歳で商業アーティストとしての仕事を開始 / 最初の個展は,1点も売れなかった

      1950年 アイ・ミラー社の靴の広告,雑誌「ヴォーグ」「ハーパース バザー」の広告イラストをはじめ,
      コロムビアのレコードジャケット,ティファニー宝石店のウィンド装飾などを手がけ,商業デザインで地歩を固める

      1952年 新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」受賞 / 初の個展をニューヨーク,ヒューゴー画廊で開催
      「ニューヨーカー」派の作家,トルーマン・カポーティーの小説を題材としたドローイング15点を出品し,初めてアンディ・ウォーホルと名乗る

      1954年 イラスト集「サムという名の25匹の猫と1匹の青い仔猫ちゃん」を刊行

      1955年 27歳の時,I.ミラー靴店が毎週新聞に掲載する宣伝のデザインの注文を受け
      その後,I. ミラー靴店の宣伝で賞を取ったりする事で名が知れはじめ展覧会で成功を収めるようになる

      1956年 友人リザンビィと共に,40余日をかけて世界一周旅行をする / 個展:ニューヨーク,パドレイ画廊「少年たち」「黄金の靴」

      1957年 靴の広告デザインで「アート・ディレクターズ・クラブ・メダル」を受賞 / 個展:ニューヨーク,パドレイ画廊「黄金の絵画展」

      1958年 個展:ニューヨーク,パドレイ画廊「アメリカの黄金のスリッパと靴」

      1959年 個展:ニューヨーク,パドレイ画廊「食物」

      1960年 30年代の探偵漫画「ディック・トレイシー」シリーズなどの連続漫画や広告からヒントを得た「絵画」の制作に専念する
      イラストレーションの世界を捨て去り,ファインアートの世界に移動

      1961年 「アミィ・ヴァンダービルドの完全な料理書」の挿図を制作
      画商で室内装飾家のミュリエル・レイトウから,キャンベル・スープ缶とドル紙幣を描くアイデアを買い取り,
      翌年シルクスクリーンの可能性を発見し,後にスープ缶・野球・ 映画・ポップスターなどのシルクスクリーンの絵を発表
      ポップアートと呼ばれるこれらの作品は,大衆が日々あこがれ親しんだ身のまわりのものを,簡潔に作品化して
      芸術として示したもので32歳で絵に本格的に取り組みはじめ,宣伝やコマ漫画からイメージを借用し大衆文化のオブジェを描きはじめた
      これが,多くの支持を集めることになる

      1962年 個展:ロサンゼルス,フェラス画廊「キャンベル缶シリーズ」を開催するが散々な評判であった
      シルクスクリーンと出会い,マリリン・モンローの死に出会う / 最初のシルクスクリーン・ペインティング作品を制作後,
      個展をニューヨーク,ステーブル画廊で開催し大成功を収め一躍スターとなる
      「ニュー・リアリスト展」がニューヨーク,シドニー・ジャニス画廊で開催されポップ ・アートの旗上げとなる

      1963年 消防署と呼ばれたスタジオから移転して「ファクトリー」(仕事場)を開設する
      最初の映画を製作し,やがてアンダー・グラウンド・シネマの中心的な存在となりあわせて約150本の映画を製作することになる
      イースト47丁目231番地のロフトのスタジオに引っ越し,通称“ファクトリー”と呼ばれ,この場所には各界のスーパースターなど,
      様々な分野の才能が集まったアート・映画・音楽・ファッションと“ファクトリー”の生んだ刺激的な文化や研ぎ澄まされた創造の
      スピリットが,その後の時代に与えた影響は大きく,今でもその輝きは色褪せていない

      1964年 スケールの拡大とダブル・イメージの技法を試みる
      個展:パリ,イレーナ・ゾンナーベント画廊「花シリーズ」 / 個展:ニューヨーク,レオ・キャステリ画廊 他

      1965年 マス・メディアに進出

      1966年 「チェルシー・ガールズ」

      1966年 個展:ニューヨーク,レオ・キャステリ画廊「雲ー浮かぶ彫刻」 / 個展:ボストン,現代美術協会「アンディ・ウォーホル」
      映画:「チェルシー・ガールズ」「☆☆☆☆」他。映画の最盛期を迎える

      1967年 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムのジャケット・デザインを制作 / 映画「ヌード・レストラン」「淋しいカウボーイたち」他

      1968年 6月3日,ウォーホル映画に出演したことのあるヴァレリー・ソラナスという「全男性抹殺団」の女性が,
      32口径の拳銃でウォーホルを銃撃,一時重体となるが5時間におよぶ大手術により一命をとりとめる
      この狙撃事件は,マスコミにセンセーショナルに報道される。7月28日,退院
      60年代の“ファクトリー”は,このウォーホルの突然の狙撃事件を機に急速に姿を変えていき,
      同時にファクトリーのメンバーたちも次第にウォーホルのもとを離れていくことになった。
      小説「a」をグロウブ・プレスから刊行し,再び活動を開始する / 第4回 ドクメンタ(カッセル)に出展 / 個展:ストックホルム,近代美術館「ウォーホル展」他

      1969年 インタヴューで誌面全てを構成する月刊誌「インタヴュー」を創刊 / 個展:ベルリン国立美術館 / ニューヨーク,レオ・キャステリ画廊 他
      70年代には社交界からの注文で,多くのポートレートを制作。トルーマン・カポーティー/ミック・ジャガー/マイケル・ジャクソン/キャロライン王女など
      幅広い分野の有名人の依頼を受け制作

      1970年 再びシルクスクリーンによる制作を開始 / 自ら撮った著名な有名人写真による肖像画を多作
      「ライフ」誌は,60年代に最も影響力のあった人物として,ビートルズとウォーホールを挙げる。
      最初の回顧展が翌年にかけてパリ市立近代美術館/シカゴ現代美術館/テート・ギャラリー/ホイットニー美術館などを巡回
      大阪,万国博美術館展に「花」が出品される

      1971年 デビット・ボウイ,即興歌「アンディ・ウォーホル」発表
      個展:ニューヨーク,ゴッタム・ブックマート画廊「ウォーホール初期作品展」 / 個展:ニューヨーク,デイヴィット・ホイットニー画廊「キャンベル・スープ缶Ⅱ」

      1972年 母,ピッツバーグで歿
      社交界からの注文肖像画を手がけはじめる / ニクソンの訪中にあわせて毛沢東のポートレイトを制作

      1973年 個展:オハイオ,ニュー・ギャラリー / パリ,ミュゼ・ガレリア 他

      1974年 ファクトリーをブロードウェー860に移転
      個展:東京・神戸,大丸 この日本最初の回顧展のため来日 / 個展:パリ,ミュゼ・ガレリア / ロンドン,メイヤー画廊 他

      1975年 「アンディ・ウォーホルの哲学」を刊行 / 個展:ボルチモア美術館 他

      1976年 「ドローイング1942-1975」展 (シュツットガルト美術館) / ウィーン:20世紀美術館を巡回

      1977年 ドクメンタ6(カッセル)に出品 / 個展:ニューヨーク,レオ・キャステリ画廊「ハンマーと鎌」他

      1978年 個展:チューリッヒ美術館 / ロンドン,現代美術協会 他

      1979年 個展:ホイットニー美術館「70年代のポートレート展」 / ヘイナー・フライドリッチ画廊「影による個展」他

      1980年 「ポッピズム (ウォーホルの60年代)」刊行

      1981年 個展:ウィーン,20世紀美術館「ウォーホル’80・・・リヴァーサル・シリーズ」

      1982年 ドクメンタ7(カッセル)に「酸化作用」を出品 / 北京,西ベルリン,パリなどを旅行 / 個展:ニューヨーク,レオ・キャステリ画廊 他

      1983年 ファクトリーを移転 / 冬季オリンピック・サラエボ大会のポスターを制作

      1985年 ウォーホル・バスキア展 (ニューヨーク,トニー・シャフラジィ画廊)

      1987年 1月 ニューヨーク,ロバートミラーギャラリーで初めてのウォーホル写真展が開催
      2月20日,ニューヨーク病院コーネル医療センターに入院
      2月21日,胆嚢手術を行う
      2月22日,早朝容態が急変し心臓発作のため逝去 享年58歳

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