富岡 鉄斎 「嵐山」 Tessai Tomioka
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- 作家名富岡 鉄斎 (Tessai Tomioka)
- 作品名嵐山
- 年 代
- 技 法日本画 (紙本,墨彩)
- サイズ16.7×53.7cm (扇面)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考※売約済※ サイン/印/「富岡鉄斎鑑定委員会」証明書
- この作品は売約済みまたは販売済みです。
富岡 鉄斎 (とみおか てっさい) 1837~1924
師につかず,南画・明清画・大和絵などを研究し,水墨画に独自の画境をひらいた
国内のみならず諸外国で遺作展が開かれるほどに高い人気を得る
鉄斎の作品に魅了された著名人は数多く,武者小路実篤・梅原龍三郎・中川一政・棟方志功・小林秀雄・谷川徹三など文学者や
画家,評論家のみならず,ブルーノ・タウトなど多数の外国人からも称賛される。
鉄斎自身は生涯儒学に勤しみ,自らの事を画家と呼ぶことを嫌った。
1837年 京都(三条通新町東)法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる
1855年 18歳頃に女流歌人,大田垣蓮月尼に預けられ薫陶を受ける
1856年 南北合派の窪田雪鷹,大角南耕に絵の手ほどきを受け,南画を小田海僊に大和絵を浮田一蕙に学ぶ
1861年 長崎に遊学し,長崎南画派の祖門鉄翁,木下逸雲らの指導を受ける
1863年 山中静逸と出会いをきっかけに,画業で生計を立て始めた / この頃私塾を開設
1867年 30歳から40代半まで,大和国石上神社や和泉国大鳥神社の神官(宮司)を勤める大和国の式内社加夜奈留美命神社を復興
1869 年 私塾立命館で教員となる
1874年 松浦武四郎との交流から北海道を旅し,アイヌの風俗を題材にした代表作「旧蝦夷風俗図」を描く
1881年 兄,伝兵衛の死に伴い京都薬屋町に転居し,終の住処とする
1882年 京都薬屋町に居を定め,「万巻の書を読み万里の路を住く」文人生活を貫いた
各種展覧会の審査員を務めるが,学者としての立場から自らは出品しなかった
1893年 京都市美術学校教員に就任
1897年 田能村直入らと日本南画協会を設立
1917年 帝室技芸員
1919年 帝国美術院会員となる
1924年 大晦日,持病であった胆石症が悪化し京都の自宅にて逝去 享年86歳