パウル・クレー 「Still Life」 Paul Klee
- 管理No.16-11985
- 作家名パウル・クレー (Paul Klee)
- 作品名Still Life
- 年 代1970年
- 技 法リトグラフ (Lithograph)
- サイズ44.5×60.3cm(I)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考ED.200部/刷:ムルロー工房/1970年「Berggruenギャラリー(仏)での展覧用リトポスターのアヴァン・ラ・レットル版(文字入れ前の別刷り)」/コンディション良好/70.5×85.5cm(F)
パウル・クレー
(Paul Klee)
1879年~1940年
1879年スイスの音楽家一家に生まれる。
幼少の頃から音楽のみならず文学にも興味を持ち,創作に手を染めたこともあったが絵の道を選ぶことになる。
パリと並ぶ芸術の都だったドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに学ぶが,学校の画一的な教育はクレーにあわず,1年後の1901年
には退学している。
1911年,当時の前衛的なグループ「青騎士」に参加,カンディンスキー等と交流する。初期は神経質でありながらダイナミックな
線描で知られ,後に豊かな色彩を用いた作風へと変遷した。
クレーの画業において転機となったのは1914年春から夏にかけてのチュニジア(北アフリカ)旅行であった。この旅行に感銘を
受けたクレーは鮮やかな色彩に目覚め,作風は一変した。「色彩は,私を永遠に捉えたのだ」という言葉が,チュニジアでの体験を
端的に表す一節として日記に残されている。
クレーの画集等で紹介されている色彩豊かな作品は,ほとんどがこの旅行以後のものである。またこの頃からクレーは抽象絵画
にも踏み込み,その後の表現の幅は飛躍的に拡大した。
キュビスムやシュルレアリスム・抽象などの様々な要素を消化し,線と色彩の効果が十分に発揮された高い精神性を持つ独自の
画風を確立。ドイツの近代デザインの学校であるバウハウスで教鞭を執り, その講義内容やエッセイをまとめた本
『パウル・クレー・ノートブック』『造形とデザイン理論』は近代美術における重要な美術理論書の1つである。
又理論家として多くの作家に影響を与えるなど,今世紀の巨匠の一人に数えられる。
スイスのベルンにクレー財団が設立されている。