足立 源一郎 「奥穂高とジャン」 Genichiro Adachi
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- 作家名足立 源一郎 (Genichiro Adachi)
- 作品名奥穂高 (Mt.Okuhodaka)
- 年 代
- 技 法油彩 (oil on canvas)
- サイズ8号 (F8)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考※売約済※ サイン/裏書
- この作品は売約済みまたは販売済みです。
足立 源一郎 (あだち げんいちろう) 1889~1973
大阪,船場に生まれ京都市立絵画工芸専門学校(現京都市立芸術大学)に学ぶかたわら
浅井忠の関西美術院にも通う。
大正時代2度にわたり延べ7年間,パリで画業の基礎を固める。
帰国後,日本美術院の同人に推挙される。
小杉未醒,岸田劉生,木村壮八らと春陽会を結成。石井鶴三,丸山晩霞らと日本山岳協会を創立。
羽仁もと子主催の自由学園の校風に共鳴して教鞭をとり,山本鼎の農民美術運動にも協力した。
「ドオミエ」「クロード・モネを訪う」などの翻訳をはじめ「山に描く」「山は屋上より」「山の写生」などの名著も多く,
近代美術紹介の文筆家として先駆的な業績を残し,第一回国民体育大会のポスター,日本山岳会の略章も描いた。
山岳画の先駆者として知られ,滞欧時代はヨーロッパアルプスを,晩年は一年の大半を北アルプス山中で過ごし,
数々の名作を残した。
1889年 大阪市に生まれる
1905年 京都市立美術工芸学校に入学
1906年 関西美術院が開設されるとそちらにも通う
1908年 上京して太平洋画会研究所に学び,自馬会研究所や東京美術学校にも通う
1914年 渡仏
1918年 ロンドンを経由して帰国 / ロンドンでは松方コレクションの収集に尽力した帰国後,院展洋画部同人となる
1922年 小杉未醒、岸田劉生、木村荘八らと共に春陽会の創立 / 以後同会に出品
1923年 再び渡仏し1926年まで滞在
1936年 日本山岳画協会を創立
1938~44年まで度々中国,朝鮮半島に写生旅行をする
1973年 逝去