宮本 三郎 「舞妓」 Saburo Miyamoto
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- 作家名宮本 三郎 (Saburo Miyamoto)
- 作品名舞妓 (Maiko)
- 年 代1972年
- 技 法木版画 (Woodblock)
- サイズ48.5×35.5cm(I)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考※売約済※
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宮本 三郎 (みやもと さぶろう) 1905~1974
1905年 石川県小松市松崎町に生まれる
1918年 石川県立小松中学校(現・石川県立小松高等学校)入学
1920年 小松中学校を中退し,画家を志し離郷。兄を頼り神戸に出る
1922年 上京し川端画学校に在籍。富永勝重・藤島武二に師事
1923年 関東大震災を機に京都に移る。関西美術院で黒田重太郎の指導を受ける
1927年 第14回二科展に初入選。以降,1944年まで毎年出品
1933年 東京朝日新聞連載小説「三家庭」(菊池寛)への挿絵を描く
1935年 世田谷区奥沢にアトリエを新築。初期の代表作である「婦女三容」完成
1938年 渡欧。ルーヴル美術館で摸写をするほかスイス・イギリスなどを巡り,各地の美術館を見学。翌年に帰国
1942年 戦争記録画制作のため,藤田嗣治・小磯良平らと共にマレー半島タイ・シンガポールなどに渡る。帝国芸術院賞受賞
1945年 金沢市に疎開
1947年 熊谷守一・田村孝之助・正宗得三郎らと二紀会を設立
1948年 金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)の教授に就任
1952年 渡欧。スペイン・イタリア・ギリシャなどを巡遊
1953年 多摩美術大学教授に就任
1958年 日本美術家連盟理事長に就任
1959年 日本美術家連盟の会館建築に際し,建設委員長に就任
1966年 日本芸術院会員となる
1967年 二紀会が社団法人となり,理事長に就任
1971年 国立西洋美術館評議会評議員に就任
1973年 文化庁芸術専門調査会委員に就任
1974年 10月13日,腸閉塞による心臓衰弱のため逝去。享年69歳