竹久 夢二 「待てど暮らせど」 Yumeji Takehisa
- 管理No.※Sold※
- 作家名竹久 夢二 (Yumeji Takehisa)
- 作品名待てど暮らせど
- 年 代1994年
- 技 法木版画 (Woodblock)
- サイズ33.5cm×21cm(I)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考※売約済※
- この作品は売約済みまたは販売済みです。
竹久 夢二 (たけひさ ゆめじ) 1884~1934
1884年 9月16日,岡山県に生まれる。本名は茂次郎,家業は酒屋
1902年 早稲田実業学校に入学
1905年 早稲田実業専攻科に進学。4ヶ月で中退
月刊誌「中学世界」の懸賞に応募し,コマ絵「筒井筒」が一等に入選。初めて「夢二」の画号を使う
1907年 岸たまきと結婚。2年後に離婚
1908年 水彩画「こわれた水車小屋」を携えて,画壇の大家岡田三郎助を訪れ,助言を受ける
1909年 最初の著書「夢二画集 春の巻」刊行
1911年 松沢ミドリ氏(伊香保在住であった故加藤ミドリ氏)の手紙により,伊香保を知る
1912年 「第一回 夢二作品展覧会」開催 京都府立図書館。話題を呼ぶ
1914年 日本橋区呉服町に「港屋絵草紙店」開店
1917年 「港屋絵草紙店」で笠井彦乃と京都に住む。1年余り一緒に生活をした後,1920年に彦乃と死別
1918年 「第二回 竹久夢二抒情画展覧会」開催,京都府立図書館
東京に戻り,住む。多忠亮作曲「宵待草」(セノオ楽譜)出版
1919年 「黒船屋」制作。モデルのお葉(本名,佐々木カ子ヨ)を伴い初めて伊香保を訪れる
1923年 恩地孝四郎らと「どんたく図案社」を企画。デザインの事業化を目指すが関東大震災によって潰滅
1924年 世田谷区松原に住居「少年山荘」建築
1930年 生活と芸術を結ぶ運動「榛名山美術研究所」の宣言文を発表。年末,榛名湖畔にアトリエ完成
1931年 アメリカ,ヨーロッパへ渡り,各地を訪れる
1933年 帰国。引き続いて台湾へ赴く。帰国後,病気が悪化し病臥
1934年 9月1日,信州富士見高原療養所にて永眠。享年 51歳